CONCEPT
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photo by YUSUKE NISHIBE PHOTOGRAPHY
日々のうつわを伝える展覧会の企画・監修、書籍の企画・執筆を行っています。
うつわは生きるために必要な食べるための道具であり、使われてこそ価値があります。
素朴なあたたかさ、優美なやわらかさと、清らかさ。
うつわと人との付き合いは、どこでもあるありふれた、食卓の光景のなかで積み重ねられていくものです。
作り手から使い手へ、手から手へ伝わり、うつわは時とともに育っていきます。
うつわを愛することは、かけがえのない日々の暮らしを愛することです。
うつわ祥見の常設や個展、WEBSHOP、様々に企画する展覧会で、
日々のうつわを選ぶお手伝いができたなら、これほど嬉しいことはありません。祥見知生

うつわ

うつわ、と口にしたときに感じられる、やわらかなニュアンスは、多くのうつわが有している丸みのあるかたちに由来している。ふんわり舞い降りてきたようなやさしい丸みのあるかたちは、やわらかな布で身体を包まれるような安堵感をあたえるものです。
ふたつの小指をあわせ掌を丸くすると、うつわのかたちがあらわれてきます。たとえば清流で水をすくい口元に運ぶとき、自分の掌が道具になることを経験した方は多いでしょう。この掌のかたちこそ、うつわの原点であり、大切なものをいただく、という心のかたちでもあります。人は自らのなかに、もともと、この慎ましく謙虚な心を持ち得ているのかもしれません。
うつわのかたちを作る大きな要素のひとつに、人が使うための道具であるがゆえの制限があります。人の手に包まれるがゆえ、うつわは、本来、簡素で無駄がなく美しいものです。

さて、うつわを覗き込むと何が見えるでしょうか。実は、そこにあるのは空と同じ、うつろなるもの、空( くう) なるものです。何かを盛られるまで器は空っぽであり、何もありません。けれど眺め続けるとやがて気がつくでしょう。そこに確かなかたちがあることを。身体のリズムや心のありかた、土との向き合いかた、それらは作り手自身の姿を投影したものです。作り手は世界のどの大陸にもどの時代にも存在し、今日に至るまでうつわを作り続けてきました。のびやかな手の動きや作る喜びのようなものを、わたしたちは時を経て、感じることができます。

作り手は常にうつわのかたちを辛抱強く問い続けています。彼らは、自らのわき上がるものを源泉とし、手でものを考え、手を動かし、そして信じるものをかたちにします。しかし、そうして生まれたかたちは常に変化を続けます。成形から焼成の過程までコントロールし、量産を可能にする工業製品とは異なり、いまあらわれたかたちは、次の瞬間には存在していないのです。原料の土、釉薬の厚みや流れかた、ひと窯ごとの調子、あらゆるバランスのうえにうつわは作れ、ひとつとして同じものはありません。それゆえ、うつわとの出合いは一期一会と言われます。

わたしたちの手が求めるうつわは、温もりにあふれ心打たれるものです。うつわのかたちは、人の掌から生まれ、人の手のなかで育っていきます。


書籍『うつわかたち』はじめに より

ディレクター 祥見知生

ギャラリスト。文章家。編集者。2002年神奈川県鎌倉市にギャラリーうつわ祥見をオープン。うつわを伝える本の執筆、数々の展覧会のプロデュースを行う。著書に『うつわ日和。』『DVDブックうつわびと 小野哲平』『やさしい野菜 やさしい器』(ラトルズ刊)、『日々の器』『うつわを愛する』(河出書房新社刊)、『器、この、名もなきもの』(里文出版刊)、『うつわと一日』(港の人)など多数。「TABERU」「うつわ、ロマンティーク展」など東京・国立新美術館地階SFTギャラリーで展覧会のディレクションを行うほか、高知県立牧野植物園「樹と言葉展」企画・共催、 DEAN&DELUCA「はたらく器、おいしい皿展」、NYや台北ギャラリーで展覧会開催。
『TEPPEI ONO』『LIVE 器と料理』(青幻舎刊)『うつわかたち』(ADP刊)など、UTSUWAを海外に伝えるバイリンガルな書籍の企画を進める。著作は中国、台湾で翻訳され日々のうつわを紹介し、うつわブームのきっかけとなる。CIBONE(東京・青山)、国立新美術館地階SFT(東京・六本木)、うつわ茶房KEYAKI(静岡三島クレマチスの丘)などで企画展及び常設展監修。経済産業省事業The Wonder500 プロデューサーを務める。